2017年05月28日

店長スギの一点紹介★442nd Regimental Combat Team★

こんにちはわーい(嬉しい顔)手(パー)スギです。




今日は
一昨日のブログで画像のみのご紹介となった一点

私の強い希望で
ブログにてしっかりを説明をさせていただき
WEB SHOPの掲載とさせていただきたい一枚


昨日はありがたいことに多くのお客様にご来店いただき、ブログのアップが出来ず
申し訳ありませんでした。

本日は通常通り、Feeet 2ndからのブログがありますので、私のブログはこのような時間にお届けさせていただきます。



さて、話は戻り


一昨日のFeeetブログ
最後のご紹介分










皆様。
第442部隊(連隊戦闘団)
(442nd Regimental Combat Team)をご存知でしょうか。




113.jpg

442部隊は、第二次世界大戦中のアメリカ陸軍が有した連隊規模の部隊。

本日は歴史的史料価値の高いこの一枚をご紹介したいと思います。


まずはこのシャツの背景となる歴史を
私なりにまとめてみましたので、ぜひ一緒に見ていただけたらと思います。




112.jpg

時は1941年12月8日(ハワイ時間では7日)
日本軍によるハワイ軍港、真珠湾への攻撃によって太平洋戦争の勃発
本格的にアメリカと敵対します。


同時に敵国とみなされた日系アメリカ人の多くは逮捕拘束、また収容所へ送られます。

その多くは日本国籍の移民一世であり、彼らは日本国民同様、皇民思想を堅持していました。
彼らの拘束により、生まれも育ちもアメリカの二世たちはそれまで抑え込まれていた母国(アメリカ)意識、忠誠心が高まります。

しかしながら、二世たちもまた一世同様
敵性外国人のレッテルが張られ、本国では差別・排斥にあいます。


118.jpg


彼らは、自国への忠誠心を示す為

アメリカは【白人の横暴の実例】としてアジアの白人支配を謳う日本への反芻のため
日系人の部隊を編成することになります。


それが、442部隊の先駆け、第100歩兵大隊(100th infantry battalion)。(1942年)
この異例な第100大隊は、訓練を重ねる中で短期間のうちにアメリカ陸軍の中でも最精鋭の大隊に成長していきます。あらゆる訓練において、どの部隊でも到達できないような抜群な成績を残し、一躍、陸軍の注目の的となったのです。


この100大隊の訓練成績の凄みを象徴するこんな話が残されています。
アメリカ軍の機関銃の組み立てマニュアルは16秒
対する100大隊は5秒
エリート士官でも11秒はかかったといわれる作業名だけに驚異的な数値。
また行軍スピードも当時白人の部隊の平均時速は2.5km
対する100大隊は3.3km

日系人が特別に優秀だった、というよりは
日系人たちの「日系人差別と戦う。アメリカ人として認めさせてやる。」
という熱意がこのような結果を生んだのだと思います。



このことによって、日系人に対する差別意識から日系人の戦闘部隊への参加を拒んでいたルーズベルト大統領も、翻意せざるを得なくなり、1943年1月に正式に日系人の部隊編成を容認することになります。



114.jpg


こうして第100歩兵大隊422部隊の編制がなされ、多くの功績を上げていきます。
本団である第100歩兵大隊に続いて、日系2世アメリカ人により構成され、ヨーロッパ戦線に投入されます。

その激闘ふりはのべ死傷率314%、【Go for broke!(当たって砕けろ)】のモットーのもと勇戦敢闘された部隊として、アメリカ合衆国史上もっとも多くの勲章を受けた部隊としても知られます。



422部隊の名を知らしめた一つの救出作戦が1944年、10月24日、第34師団141連隊第1大隊、通称「テキサス大隊」がドイツ軍に包囲されるという事件が起こります。
彼らは救出困難とされ、「失われた大隊」と呼ばれ始めていました。


119.jpg


10月25日には、第442連隊戦闘団にルーズベルト大統領自身からの救出命令が下り、部隊は出動します。
休養が十分でないままの第442連隊戦闘団は、ボージュの森で待ち受けていたドイツ軍と激しい戦闘を繰り広げることとなり、10月30日、ついにテキサス大隊を救出することに成功しました。




しかし、テキサス大隊の211名を救出するために、第442連隊戦闘団の216人が戦死し、600人以上が手足を失う等の重傷を負うのです。

救出直後、442部隊とテキサス大隊は抱き合って喜びましたが
大隊のバーンズ少佐が軽い気持ちで「ジャップ部隊は大丈夫なのか」と言ったため
第442部隊の少尉が「俺たちはアメリカ陸軍442部隊だ。言い直せ!」と激怒して掴みかかり、少佐は謝罪して敬礼したという逸話が残されています。この戦闘は、後にアメリカ陸軍の十大戦闘に数えられるようになるのです。




116.jpg

1946年7月、ワシントンに凱旋した442連隊の表彰式が行われました。
トルーマン大統領は小雨の中、連隊を直接出迎え、次のように演説しました。
「君たちは敵と戦っただけでなく、偏見と戦い、そして勝った。この戦いを続ければ、常に万民が幸福であれ、と憲法でうたうこの偉大な共和国が、幸福の象徴としてありつづけるだろう」


117.jpg


原文
You fought not only the enemy, but you fought prejudice--and you have won. Keep up that fight, and we will continue to win--to make this great Republic stand for just what the Constitution says it stands for: the welfare of all the people all the time.)

なお、大統領から直接出迎えられた米軍部隊は、442連隊が唯一です。



さて、それでは
ここからが本題です。


本日ご用意させていただいたシャツ










戦後1946-47年の記念式典にて422部隊に親族を持つ家族に贈呈されたとされるシャツとして
古着市場においては認識をされていました。

ハワイからの志願兵が多かったこともあり、ハワイアンシャツをべ―スに第二次大戦時に米陸軍兵としてヨーロッパ戦線で活躍された日系人二世部隊の戦歴と彼らの姿がイラストに表されています。









40's US.ARMY 442部隊 "GO FOR BROKE" コットンアロハシャツ
¥258000+TAX



私も現物は過去、2度しか見た事がなく、この一枚が3枚目となります。
そもそもその存在すら幻と言われるミュージアムピースである個体に
さらにこちらの一枚exclamation×2

なんと!タグが残るという奇跡の一枚ですexclamation×2

私にこの一枚を用意してくれたディーラーとの会話でも
タグが現存するものは世界的にみても、10枚あるのか!?と言わしめるほどです。

442部隊解放50周年の式典では、このハワイアンを復刻されたりもしましたが
こちらは正真正銘、オリジナルの一枚となります。


この1週間、歴史はもちろんこの一枚に興味を示してくださるお客様とも色々と話し込みをさせていただきましたが、戦後間もない記念式典

遺族への感謝の意をこのハワイアンシャツに込めたと言い伝わっていますが
はたして本当にそうなのか!?

シャツ自体の作りは、袋襟のロングポイント
確かに40年代の作りです。







私達の価値観では、ポップな色使い
コミカルな表現は、遺族に対して....?








ハワイアンシャツであること
戦勝国であること
記念品であること

色々と推測を膨らませており
たまらず本国ミリタリーコレクターにもメールで聞いてみたり...








私なりの考察としては
442部隊は1946年に一度解体され、47年に再編成されるのですが、その解体時の際の式典、もしくは表彰の際にこのシャツを作られ、親族・遺族に贈呈されたのではないかと推測しています。
したがって、やはり作られたのは40年代。


改めて、この一枚を通じて、私達が日本人である誇り
こうして何不自由なく暮らせている幸せ
そして、その歴史的な一枚と向き合えたことに感謝です。



最後に
この442部隊を知るうえでこのお方は存在は忘れてはなりません。

2010年10月にオバマ大統領は、442連隊戦闘団と陸軍情報部に
アメリカ合衆国において最高位の勲章である議会名誉黄金勲章を授与する法案に署名されたことは記憶に新しいと思います。


そして、2017年4月27日から
正式名称がダニエル・K・イノウエ国際空港となったホノルル国際空港。



115.jpg


このお方こそ
日本名は井上 建(いのうえ けん)氏。
氏もまたアメリカが第二次世界大戦に参戦した後、ハワイでの医療支援活動に志願
その後アメリカ人としての忠誠心を示すためにアメリカ軍に志願し
アメリカ陸軍の日系人部隊である第442連隊戦闘団に配属され、ヨーロッパ前線で戦います。


現代においてもその功績はアメリカ軍においても
必修項目となっている442部隊。

111.jpg

まだまだ422部隊の功績はこんなものではありませんが
現代では映画でもまとめられていますので、是非チェックしてもらえたら光栄です。

是非、実物を見に来てくださいねわーい(嬉しい顔)手(パー)



それではぴかぴか(新しい)
posted by Feeet 店員 at 12:19| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
hiraさん
ご返信おそくなってしまいすみません。。
今回も無事帰国できました!
色々とご報告したいこともありますので、またお時間のある時にでも寄って下さいね♪
いつもチェックしていただきありがとうございます!!
Posted by スギ at 2017年05月28日 20:15
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